ひとり言が多くなる...。
B'zのGREENツアーで生で見たビリーシーンはやはり超絶でした。
この後大阪の音楽の専門学校に入学しB'zのコピーバンドを組んだところで僕のB'zにたいする情熱は絶頂に達します。
ところで、この当時僕はかなり調子にのってました。
演奏の腕前のみがステータスであったこの学校において、僕のクラスには僕より上手い子がいなかったのです。
嘘でも自慢でもありません。当時20歳であった僕に対して、クラスメイト達は18歳。この時期の2年の差はかなりでかい。
僕が上手かったのではなく周りが未熟だった。ただそれだけのこと。
とはいえ、周りの子達から「上手い上手い」ともてはやされ、調子に乗った僕は、ライトハンドを披露したりスラップを披露したり、理論を教えて「あげた」り、複数の女の子と同時に付き合ったり。
浅はかですね。
当然音楽の「お」の字もわかっておりません。
話は戻って、B'zのコピーバンドは京都に向かいます。
その場所こそ今出川の「BACK BEAT」。
我が師「マスター」との、それが最初の出会いでした。その日マスターから新しいベースを探している人達がいるからと紹介して頂いたのが「R.P.M.」でした。
新たな活動の場を得た僕は、そこで「ファンキー」という概念を教わり、「8分音符」と「ルート弾き」を否定し、「16分音符」と「休符」こそがベース弾きの最重要課題だと思うようになりました。
第二次テクニック志向のはじまりです。
浅はかですね
当然音楽のおの字もわかっておりません。
つづく
この後大阪の音楽の専門学校に入学しB'zのコピーバンドを組んだところで僕のB'zにたいする情熱は絶頂に達します。
ところで、この当時僕はかなり調子にのってました。
演奏の腕前のみがステータスであったこの学校において、僕のクラスには僕より上手い子がいなかったのです。
嘘でも自慢でもありません。当時20歳であった僕に対して、クラスメイト達は18歳。この時期の2年の差はかなりでかい。
僕が上手かったのではなく周りが未熟だった。ただそれだけのこと。
とはいえ、周りの子達から「上手い上手い」ともてはやされ、調子に乗った僕は、ライトハンドを披露したりスラップを披露したり、理論を教えて「あげた」り、複数の女の子と同時に付き合ったり。
浅はかですね。
当然音楽の「お」の字もわかっておりません。
話は戻って、B'zのコピーバンドは京都に向かいます。
その場所こそ今出川の「BACK BEAT」。
我が師「マスター」との、それが最初の出会いでした。その日マスターから新しいベースを探している人達がいるからと紹介して頂いたのが「R.P.M.」でした。
新たな活動の場を得た僕は、そこで「ファンキー」という概念を教わり、「8分音符」と「ルート弾き」を否定し、「16分音符」と「休符」こそがベース弾きの最重要課題だと思うようになりました。
第二次テクニック志向のはじまりです。
浅はかですね
当然音楽のおの字もわかっておりません。
つづく
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ビリーシーンのベースに憧れ、
ラップメタルの攻撃性に触れ、
かつて憧れた超絶テクニックを「速いだけ」と訳知り顔でバカにするようになった僕。
このころ、機械にプログラムすることによる演奏、いわゆる「打ち込み」と呼ばれる手段を手に入れた僕。初めは自分の練習の為に市販の楽譜を丸々プログラミングしていたのですが、その過程で音楽理論を少しづつ学び、曲に自分のアイデアを盛り込むことに悦びを見いだすようになる。
そして同じリフが延々と演奏されるラップメタルやミクスチャーよりも、より音楽的に変化に富んだ曲を好むようになる。
ほんの少しではあるが音楽にも成長し、それまでバカにしていたビリーシーンの「速さ」以外の部分にも価値を認めるようになる、アンチテクニックの呪縛からは解放される。
かといってハードロックに再び目覚めたわけではなかったが。
ところで、これまで三段階の音楽的進化?を遂げてきた僕だが、その間B'zに対する興味だけは一貫していた。
僕が最も速さに憧れた初期の頃、「Brotherhood」というアルバムに収録された楽曲の半分をビリーシーンが担当していた。
その後、ハードロックに興味を失う過程で、日本屈指の速弾きギタリスト「松本孝弘」を擁するハードロックユニットB'zに対する興味も捨て去られるはずであった。
しかし、次に彼らが出した答えは「ELEVEN」というタイトルのミクスチャーアルバムだった。
速弾きを否定した僕は、松本の作り出したミクスチャーリフは受け入れた。
彼らに攻撃性があったとは思わないが、表面しか見ていない僕には十分だった。
その後理論武装をはじめ、単調さを否定しはじめた僕。
そんな中彼らが発表したアルバムは、彩り豊かでポップ色の強い「GREEN」だった。
さらにそのアルバムに伴うツアーのサポートメンバーとして起用されたのがビリーシーンというオマケ?つき。
この時点までの僕の音楽観の側にはB'zがあった。いやむしろ単に最初からB'zだけが僕のヒーローだったのかもしれない。
つづく
ラップメタルの攻撃性に触れ、
かつて憧れた超絶テクニックを「速いだけ」と訳知り顔でバカにするようになった僕。
このころ、機械にプログラムすることによる演奏、いわゆる「打ち込み」と呼ばれる手段を手に入れた僕。初めは自分の練習の為に市販の楽譜を丸々プログラミングしていたのですが、その過程で音楽理論を少しづつ学び、曲に自分のアイデアを盛り込むことに悦びを見いだすようになる。
そして同じリフが延々と演奏されるラップメタルやミクスチャーよりも、より音楽的に変化に富んだ曲を好むようになる。
ほんの少しではあるが音楽にも成長し、それまでバカにしていたビリーシーンの「速さ」以外の部分にも価値を認めるようになる、アンチテクニックの呪縛からは解放される。
かといってハードロックに再び目覚めたわけではなかったが。
ところで、これまで三段階の音楽的進化?を遂げてきた僕だが、その間B'zに対する興味だけは一貫していた。
僕が最も速さに憧れた初期の頃、「Brotherhood」というアルバムに収録された楽曲の半分をビリーシーンが担当していた。
その後、ハードロックに興味を失う過程で、日本屈指の速弾きギタリスト「松本孝弘」を擁するハードロックユニットB'zに対する興味も捨て去られるはずであった。
しかし、次に彼らが出した答えは「ELEVEN」というタイトルのミクスチャーアルバムだった。
速弾きを否定した僕は、松本の作り出したミクスチャーリフは受け入れた。
彼らに攻撃性があったとは思わないが、表面しか見ていない僕には十分だった。
その後理論武装をはじめ、単調さを否定しはじめた僕。
そんな中彼らが発表したアルバムは、彩り豊かでポップ色の強い「GREEN」だった。
さらにそのアルバムに伴うツアーのサポートメンバーとして起用されたのがビリーシーンというオマケ?つき。
この時点までの僕の音楽観の側にはB'zがあった。いやむしろ単に最初からB'zだけが僕のヒーローだったのかもしれない。
つづく
ミュージシャンならば誰でも一度は超絶テクニックを持つ先達に憧れたことはあるのではないでしょうか?
全くないという人がいたらご免なさい。
僕は間違いなく憧れた一人でした。
僕のベース経験のうちの初期のヒーローはビリーシーンという人でした。
音楽の「お」の字も知らない僕は、とにかく彼の「速さ」の虜になり、彼の教則ビデオを見て、彼の名を冠したベースを買い、彼と同じく三本指で演奏し、当時所属していたバンドの楽曲にライトハンド奏法を取り入れ、当時住んでいた地域の名前を入れて「蒲生のビリーシーン」を名乗っていました。
その後レイジアゲインストザマシーンというバンドに出会い、ビリーシーンを初めとした「ハードロック系テクニシャン」をバカにしはじめます。
ビリーシーンに冠するスタイルを捨て去り、かわりにレイジアゲインストザマシーンを初めとした、当時流行りのラップメタルの攻撃性に憧れます。
五弦ベースを手に入れ、親指で弦を叩き、腕に彫り物。
当然音楽の「お」の字も知りません。
真似するのは上っ面だけ。
本当に浅はかですね。
つづく
全くないという人がいたらご免なさい。
僕は間違いなく憧れた一人でした。
僕のベース経験のうちの初期のヒーローはビリーシーンという人でした。
音楽の「お」の字も知らない僕は、とにかく彼の「速さ」の虜になり、彼の教則ビデオを見て、彼の名を冠したベースを買い、彼と同じく三本指で演奏し、当時所属していたバンドの楽曲にライトハンド奏法を取り入れ、当時住んでいた地域の名前を入れて「蒲生のビリーシーン」を名乗っていました。
その後レイジアゲインストザマシーンというバンドに出会い、ビリーシーンを初めとした「ハードロック系テクニシャン」をバカにしはじめます。
ビリーシーンに冠するスタイルを捨て去り、かわりにレイジアゲインストザマシーンを初めとした、当時流行りのラップメタルの攻撃性に憧れます。
五弦ベースを手に入れ、親指で弦を叩き、腕に彫り物。
当然音楽の「お」の字も知りません。
真似するのは上っ面だけ。
本当に浅はかですね。
つづく
今日は久々のR.P.M.のスタジオ練習の日であった。
年が明けて以来初の合同練習であったが、かなり悔いの残る2時間となってしまった。
というのも、あまりに自分がヘタすぎたからだ。
リズムキープは出来てないわ、フレーズはど忘れしてるわ、指が回らないわ。
合同練習以前に個人練習が全く足りてない。
以前に比べフレージングの幅は広がった。その点成長はしたと言えるかも知れない。それは間違いないが、それに技術がともなっていなければ意味がない。
どんなにカッコいいフレーズを持っていようが、カッコよく聴かせられないのなら余計なことをせず、リフを忠実に弾いているほうがいい。
とはいえ本番ではないから、ある程度の冒険はしたいものだが。今回はすべて踏み外してしまったようだ。
精進あるのみ。
年が明けて以来初の合同練習であったが、かなり悔いの残る2時間となってしまった。
というのも、あまりに自分がヘタすぎたからだ。
リズムキープは出来てないわ、フレーズはど忘れしてるわ、指が回らないわ。
合同練習以前に個人練習が全く足りてない。
以前に比べフレージングの幅は広がった。その点成長はしたと言えるかも知れない。それは間違いないが、それに技術がともなっていなければ意味がない。
どんなにカッコいいフレーズを持っていようが、カッコよく聴かせられないのなら余計なことをせず、リフを忠実に弾いているほうがいい。
とはいえ本番ではないから、ある程度の冒険はしたいものだが。今回はすべて踏み外してしまったようだ。
精進あるのみ。
プロフィール
HN:
山本ヤスヒロ(楽団ひとりZ)
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1983/02/14
職業:
音楽家
趣味:
CD収集
自己紹介:
京都府在住。E.ベース(フレットレス&フレッテッド)弾いてます。ソロライブやってます。バンドもやってます。レッスンもやってます。育児もやってます。元気で演ってます。
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